スザンヌ エピソード&プロフィール

<スザンヌ>「自慢できる立派な娘」 母“キャサリン”が語る教育論
◇「自慢できる立派な娘」−−藤本清美さん(46)
 テレビのクイズ番組で珍回答を連発し「おバカキャラ」として人気急上昇の熊本市出身のタレント、スザンヌさん(21)。そんな娘の姿を世間にさらけ出すのは親として「恥」と見る向きもあるが、母親の藤本清美さん(46)は「キャサリン」を名乗って娘と一緒に笑顔で番組に出演する。何か独特の教育論や哲学をお持ちなのか。興味を持って訪ねた。【高橋克哉】

 ◆スザンヌさんが小さいころは、どんな子どもでしたか。

 −−よく面白いことを言ってましたね。中学3年で、本田技研を都道府県の一つだと本気で思っていたし……。中学校の先生との進路相談で「確実に入学できる高校は県内にはない」との結論になり、福岡の高校に進学させました。

 ◆「勉強が出来ない我が子」に焦りはありませんでしたか。

 −−一時は真剣に考えたこともありました。けれど、私も母から「勉強しろ」と言われたことがなかったので、勉強を強制したことはありません。子ども自身が意識的に取り組まなければ成績は伸びません。親が騒いでも仕方がないと思いました。

 20歳のころに、遊びに行った老舗旅館の女将さんに「勉強っていうのは、琴とか三味線のような特技が何にもない人が、生きていくために仕方なくやるものなのよ」と言われて、妙に納得していたこともありましたね。

 ◆スザンヌさんが勉強以外の「何か」で生きていけるという確信があったのですか。

 −−小学校の時から周りの女の子よりも洋服や化粧に興味を持ち、雑誌や本を読みあさっていました。漢字や計算はダメでも、服のブランドや化粧品の名前はしっかり覚えていましたね。

 2年前に福岡から上京した時もそうでした。自分ひとりでコツコツと貯金して、東京の住まいも決め、契約書にも記入して突然私に言ってきた。「東京に行くことにしたから連帯保証人の所にサインして」と。興味のある事にはものすごい集中力と記憶力を発揮するんです。だから漠然と「芸術系の世界で食べていくことが出来るかな」という考えがありました。

 ◆食べていけるどころか、一気に人気が出ました。

 −−店のお客様からは「嫌味がない」と評価していただいています。「勉強しろ」と言ったことはないけれど「あいさつと笑顔だけは忘れるな。これさえあれば女の子は何とかなるから」とは常々言ってきました。それを忠実に実践して今の評価をいただいているのならば、親としてはうれしい限りです。

 「スザンヌちゃんが頑張っている姿を見ると、自分も頑張ろうと思う」とおっしゃる方も多いですね。一生懸命頑張って、人を勇気付けることが出来るようなタレントであってほしいです。 

 ◆いわゆる「おバカキャラ」に抵抗はありませんか。

 −−それはないですね。お客様の評価のように、誰かを元気にできるなんて、素晴らしいことだと思いませんか。自信を持って自慢できる立派な娘です。(Yahoo/毎日新聞)


スザンヌ エピソード&プロフィール
スザンヌ(Suzanne 本名:山本 紗衣(やまもと さえ) 1986年10月28日 - )は、日本の女性タレント。熊本県出身。ケイダッシュステージ所属。

【来歴】
熊本県鹿本郡植木町に生まれ、幼稚園の年長の頃熊本市に移住。14歳の頃、熊本市の中心街下通でモデルのスカウトを受ける[1]。デビュー当時は福岡市の芸能事務所に所属し、モデル、ローカルアイドルとして、福岡を中心に活動。RKB毎日放送の深夜番組『MTM』に出演した際、RKBのプロデューサーから声が掛かり、現在の事務所に移籍するために2006年春に上京した。福岡時代はアルバイトにも励む日々であったという。

2006年末、フジテレビの深夜番組『グラビアトークオーディション』に出演し、短い出演期間ながらハキハキとした明るいキャラクターを見せ、同局プロデューサーに見初められて同局のバラエティ番組に起用される。

ゴールデンタイムの『クイズ!ヘキサゴンII』に出演すると、そのお馬鹿な珍回答振りによってセミレギュラーとなり、同じくセミレギュラーの里田まい、木下優樹菜とユニット『pabo』を結成した。

2007年3月2日より、アイドルグループ中野腐女子シスターズのメンバーに健康オタク担当として加入。


【人物】
母親はかつてはモデルをしていたこともあり、現在は地元の熊本市で「キャサリン'S BAR」という飲食店(「BAR」と銘打たれてはいるものの、実際は立ち飲みスタイルの店)を営んでいる。「キャサリン」とは母親・清美を指しており、由来は実名の「キヨミ」の「キ」から取ったと『クイズ!ヘキサゴンII』で述べている。父親(実父ではなく再婚相手なので継父)は競輪選手の藤本博之。祖母は「ナンシー(本名:ナヲミ)」。妹は「マーガリン(本名:真央)」といい、『テレビタミン』(熊本県民テレビ)のリポーターとして活動している。母、妹とは2007年10月10日放送の『ヘキサゴンII・おバカの親はおバカ? 父母参観SP』で共演した。

『九州青春銀行』で共演する小倉優子、相沢真紀、『ヘキサゴンII』で共演する木下優樹菜(一緒に勉強をする仲)と親しく、また中村知世は第一経済大学付属高等学校芸能科の同級生(ただしスザンヌは2年生の途中で中退)。

いいとも青年隊の植野堀まこととは、同郷のお隣の中学校で同じ塾仲間である。

読書家であり、自分がその日購入した本や、その本の感想を自身のブログで発表することがある。ミステリーや恋愛小説を好むが、難解な字は適当に読むこともある。健康維持のために青汁を飲むのが日課となっている。

ロックバンドTHE イナズマ戦隊の楽曲「Oh!スザンヌ」のモデルにもなっており、彼らのイベントにも飛び入り参加した。


【芸名】
由来については今まで様々な説明を行っている。

■2007年5月2日のクイズ!ヘキサゴンII初登場時をはじめ多くの番組で「(本名の)紗衣のさのSとスザンヌのスのSからスザンヌ」という再帰的頭字語のような説明をしていた。

■2007年8月8日放送のすくいず!「電脳ヒルズ」(テレビ朝日)では、喋り方が片言という理由で事務所の社長が外国人らしい名前として命名したと語った。

■2007年8月28日放送分「ライオンのごきげんよう」では、山本紗衣として活躍中に番組のドッキリで「外国人のゲストのフリをしてみんなを騙す」という企画の際に「スザンヌ」という名前で騙したことに由来すると語った。

■2007年9月1日の「メレンゲの気持ち」(日本テレビ)において「初めて出させていただいた番組のディレクターの方から『君は山本紗衣って顔じゃないな。スザンヌでいいや』と言われ、断れなかったから」と語った。

■2007年10月25日の「うたばん」に於いては「山本スーザン久美子からきたのかもしれない」と語っている。

■2007年のはなまるマーケットでは、上記の山本スーザン久美子の説に加え、本名の苗字と同一であることからとも語った。


【クイズ!ヘキサゴンU】
2007年5月2日放送で初出演。その際珍回答を連発し司会者島田紳助に同じ九州出身の福田沙紀と香田晋と合わせて「3枚ストッパー」と呼ばれ、即座に準レギュラーとして定着した。同年6月20日放送では出身地である熊本県、そして九州を一通り間違えてしまい最後に「まだ行ってない場所がたくさんありますね」と締めようとして紳助や共演者に呆れられる。

2007年7月18日放送までは6回連続の最下位だったが、同年7月25日放送では18点(13位)と当時の自己最高点をとり里田まい(14位/16点)、木下優樹菜(15位/14点)、つるの剛士(16位/13点)、上地雄輔(17位/7点)、野久保直樹(18位/6点)といった最下位常連の6人の中から1番に抜けた。その後(主に同年8月22日放送以降)の放送からは徐々に最下位はなくなっていたが同年10月24日放送で約2ヶ月ぶりに最下位を取る。また同年12月19日放送では20点と自己最高点を更新し初めて中位(12位)入りし脳解明クイズでは初めて観覧側に回った。

里田、木下(スザンヌを合わせてユニット『Pabo』を結成)、つるの、上地、野久保(ユニット『羞恥心』結成)といった『ヘキサゴンII』でおバカキャラとして有名になったメンバー中では唯一当初から仕事の活動がバラエティである。


スザンヌの「ぶろぐザンス☆」
スザンヌのカジュアルブログ

(出典:Wikipedia)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?b=20080217-00000009-maiall-ent

中田翔 エピソード&プロフィール

中田不発もフィーバー加熱…日本ハム開幕戦チケット即日完売へ
 日本ハムの高校生ドラフト1巡目、中田翔内野手(18)=大阪桐蔭高=が17日、沖縄・名護市営球場で行われた横浜との練習試合に「5番・三塁」で先発出場。遊ゴロ、左飛、三飛、空振り三振と4打数無安打に終わった。快音は聞かれなかったが怪物人気は抜群で、18日に一般発売される3月20日の開幕戦(対ロッテ、札幌ドーム)の前売りチケットの即日完売は確実だ。

 無安打にも暗い表情はなかった。中田は沖縄の夕日をまぶしそうに見つめながら、前を向いた。

 「変化球(攻め)が多くなってきているので、考え方を変えないといけない」。初球の直球を打った第1打席(遊ゴロ)以外の1球目はいずれも変化球。バットからいつもの轟音(ごうおん)は鳴り響かなかった。

 「打ち急いでしまいました。ボール球に手を出したのは、反省しないといけない」。2500人の観衆に豪快な一発は見せることはできなかったが、怪物ルーキーには一番の声援が送られた。

 中田人気は、ずぬけている。3・20開幕戦の前売りチケットが18日に一般発売される。16日から始まったファンクラブの先行発売が予想以上の売れ行きを見せていることから、球団関係者は4万2222席分の札幌ドームの前売り券が、2004年の札幌移転後、初めて即日完売すると予測。「あす(18日)にも(完売が)発表されると思います。昨季リーグ2連覇したのと中田クンが入ったことで注目されているのでは」とうれしい悲鳴を上げている。

 7日の紅白戦から6試合、フルイニング出場を続ける怪物ルーキー。「疲れ? まだ大丈夫ッス。もっとやらないとダメですね」。疲れ知らずの18歳が、早春の北海道を熱くする。(Yahoo/サンケイスポーツ)


中田翔 エピソード&プロフィール
中田 翔(なかた しょう、1989年4月22日 - )は、北海道日本ハムファイターズに所属するプロ野球選手(内野手)。

高校時代は高校通算本塁打記録を更新する87本を記録し、甲子園でも歴代7位となる4本塁打を放った。ベンチプレス125キロ、スクワット240キロ、背筋力260キロ、遠投は128メートル、50メートル走6秒2。

佐藤由規、唐川侑己と共に、2007年の高校生ドラフトにおいて高校生ビッグ3と呼ばれた。


【来歴】
◎プロ入り前
■広島鯉城シニア時代は連盟記録となる通算51本塁打を放つ。シニア全日本選抜ではアメリカ遠征で4本塁打を放ち、投手としても141キロを記録した。鯉城リトルシニアの4年先輩に阪神タイガースの田中慎太朗がいる。

■2005年に大阪桐蔭高校に進学し、すぐさま5番に抜擢される。同年夏の甲子園では、辻内崇伸・平田良介(当時3年)らとともに4強進出に貢献。1回戦の春日部共栄高戦では不調の辻内に代わって登板すると、春日部共栄打線を1失点に抑え、打っても決勝本塁打を放つ活躍を見せた。この試合では勝ち投手となる。

■秋からは1年生ながらエースで4番を任され、翌2006年春には151キロまで球速が伸びた。夏の大会では肘の故障で投手としての登板はできなかったが、打者として大阪大会新記録となる4試合連続本塁打を放ち甲子園に進出する。1回戦の横浜高戦では、バックスクリーン横に140メートル級の本塁打を放ち11-6で大勝した。しかし、2回戦の早稲田実業高戦で斎藤佑樹に4打数3三振と抑えられ、チームも2-11と1回戦とはうって変わって本塁打1本の2得点のみで大敗する。

■2006年の秋季大会では大阪予選で7本塁打、近畿大会で4本塁打を放ち、チームの準優勝に貢献した。秋期近畿大会の準々決勝の市川戦では、金属バットながら推定飛距離170メートルの本塁打を放っている(これは航空写真から飛距離を測定しているので信頼性は非常に高いが、中田本人は「あの打球はそんなにも飛んでいない気がする」と否定している)。

■翌2007年春のセンバツでは、2回戦の佐野日大高戦で大会タイの2打席連続本塁打を記録。準々決勝の常葉菊川高戦で田中健二朗に3打数無安打と抑えられ惜敗。だがこの際、内角球への弱さとイラつきやすい性格から、スポーツ報知からは「想定の範囲内」と評されたりもした。

■夏は、大会直前の練習試合にて高校通算本塁打の新記録となる87本目の本塁打を放つものの、大阪大会では本塁打なしだった。その大阪大会の決勝で植松優友擁する金光大阪高と対戦して、投手としては初回に3点を取られ、打つ方でも5打数無安打と不発で、チームも敗戦した。

◎プロ時代
■2007年10月3日の高校生ドラフトで、北海道日本ハム、阪神、オリックス、福岡ソフトバンクの4球団から1位指名を受け、抽選の結果、北海道日本ハムが指名交渉権を獲得。

■同11月6日、高卒新人としては史上5人目となる契約金1億円・出来高5000万円・年俸1500万円(推定)で仮契約を交わした。背番号は同年に引退したミスター・ファイターズ田中幸雄の6を引き継ぐことに決定した。

■高校時代は投手兼外野手であったが、プロでは三塁手を自ら希望した(球団の起用方針とも一致)。プロ一年目の目標に新人王を掲げ、12月10日の入団会見では、プロで最も対戦したい投手の質問に自軍のエースダルビッシュ有を挙げた。


【エピソード】
■ドラフト会議に際して行われた会見のとき、「北海道といえば?」という質問に、当時賞味期限改ざん問題などで話題となっていた「白い恋人」と答えた。これによって、高校内では「白い恋人」とあだ名され、また石屋製菓からは生産再開後に白い恋人がプレゼントされることが約束された。本人は家族で北海道に旅行に行ったときに1泊2日で白い恋人を2箱食べたと述べている。

■中田は中学2年生まで捕手の経験もあり、仮契約の際、山田新GMが中田に捕手挑戦プランを提案したが、梨田監督が後日否定。また年明けに梨田監督が、投手としても起用する二刀流プランも披露したが、後日リップサービスとして否定した。だが、気分転換を狙った梨田監督のアイディアにより、キャンプでブルペン入りして投球。最速142km/hをマークした。

■背番号については当初は2かシニアリーグで初めて着けた22を希望していたが、22番は既に建山義紀が着けていることからその拘りを封印した。

(出典:Wikipedia)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?b=20080218-00000018-sanspo-spo

叶姉妹 エピソード&プロフィール

<叶姉妹>宝石めぐって姉妹げんか? ヤッターマンでドロンジョと“セクシー共演”
 人気アニメ「ヤッターマン」(読売テレビ・日本テレビ系)に叶姉妹が出演することが18日、明らかになった。宝石を巡って姉妹げんかを繰り広げる「カノウ姉妹」として実物そっくりのセクシーな姿で登場、ドロンジョ様とセクシー共演が実現する。

 二人が登場するのは、25日放送予定の第7話「セレブ姉妹もつらいよだコロン!」。ヤッターマンとドロンボー一味はカノウ姉妹が持つティアラが、どんな願いでもかなえてくれる「ドクロリング」だと聞いて、姉妹のいるモナコに駆けつけるが、二人はティアラを巡ってけんかの真っ最中だった……というストーリー。「キョウコ」は茶色の髪に赤いロングドレス、「ミカ」は赤い髪にミニスカート姿のキャラクターで、本人が声優を務める。

 ヤッターマンについて、姉の恭子さんは「やっぱりドロンジョが好き。キャットウーマンみたいでしょ」と同じセクシーキャラを挙げた。自身のキャラについては「感激ハートマークみたいな感じ」と大喜びで、美香さんは「姉はゴージャスな感じがありながら、ちょっとさみしい顔立ち。すごく特徴が出ていてとても可愛らしい」と絶賛。「ドクロリングを手に入れたら?」という質問に恭子さんは「世界制覇」と野望?を明かし、美香さんは「理想の方と結婚」と答えていた。

 放送は25日午後7時から。3月3日の第8話には、タレントの和田アキ子さん(57)をモデルにした巨大ロボット「ワダアッコー」が登場する。(Yahoo/毎日新聞)


叶姉妹 エピソード&プロフィール
叶姉妹(かのうしまい)は、叶恭子(かのう きょうこ、1962年10月7日 - )と叶美香(かのう みか、1967年9月23日 - )の2人からなるユニット。実の姉妹ではない。「トータルビューティーアドバイザー」「トータルライフアドバイザー」を自称するが、その実態は本人たち以外には窺い知ることはできない。


【メンバー】
■叶恭子
本名小山恭子。大阪市城東区出身。帝国女子高等学校(現・大阪国際滝井高等学校)中退。身長168cm、B96cm、W56p、H90cm。血液型O型。

・叶姉妹では姉(長女)の設定。「美香には少し厳しいが、全ての世話を美香にやらせており美香がいなくなると困ってしまう」というように、奔放で世間知らずな姉の役。

・高校中退後、様々な職種を経て、本名の小山恭子の名でファッションモデルとして活動。

・モデル名鑑によるとオスカープロモーションに杉本エルザという芸名で所属していた(本人は否定)。当時の活動は、エキストラとして以外は特に経歴に残るものはない。

・1984年頃から叶恭子と名乗り始め、グラビアやカラオケビデオなど、肌を露出した仕事を始める。
 

■叶美香
本名玉井 美香。愛媛県西条市(旧:東予市)出身大阪府松原市育ち。樟蔭東高等学校、夙川学院短期大学児童教育学科卒業。身長170p、B98cm、W58cm、H91cm。

・第20回1988年ミス日本グランプリ。

・小学校教諭二種免許を所持している。

・高校時代、本名である玉井 美香の名で阪神タイガースを応援する番組「週刊トラトラタイガース」に番組アシスタントとして出演。

・1988年、日本テレビ系の深夜番組「11PM」のカバーガールとして月曜日にレギュラー出演。

・その後、某プロデューサーの肝煎りで玉乃ヒカリと改名、グラビアアイドルとして活動していた。当時もテレビ出演などの経験があり、新人としてはそこそこ売れていた(叶恭子に比べれば、芸歴では圧倒している)。

・叶姉妹では奔放な姉のフォローをするしっかりものの妹(三女)の役。恭子と一緒に出演するだけでなく、単独でのテレビ番組出演も多い。傍若無人ともとれる姉の行動に振り回されることもしばしばだが、それをよくテレビでネタにするなど、したたかな性格でもある。

・2000年、映画「サルサ」の主題歌を日本語でカバーしたシングル「サルサ!アマイエクスタシー」をインディーズよりリリース(製造元は東芝EMI)。恭子が作詞を担当。オリコン初登場152位、2週目176位。

・2004年、スーパービューティーミカリン+K with キューティーモンすたーズ名義で「O・SU・SO・WA・KE〜プルプルンのキュッのボン!〜」をリリース。自身が出演していた教育番組『モンすたージオ』テーマソングの他、DHCのCMソングとしてもオンエアされた。恭子が振り付けを行った。

・2006年4月3日、美香を被写体に恭子が撮影したという触れ込み(実際に撮影したのは素人の恭子ではなく、写真集やDVDのパッケージなど叶姉妹関連の仕事の多いカメラマンの大川直人によるもの)のヘアヌード写真集「Sweet Goddess」が発売された。男性はもとより女性にも広く支持され、20万部を突破するベストセラーとなる。


《過去のメンバー》   
■叶晴栄(かのう はるえ)
・本名小山晴栄。「はるゑ」の表記もあり。

・次女(の設定)。恭子の実の妹。 

・デビュー当初からしばらく3人で活動していたが、結婚を理由に脱退。2000年に離婚後は、姉妹のマネージャー役を務めている。恭子らが「3人での活動もあるかも知れない」と発言し、復帰も噂されたが、現在までにそうした活動はない。

・2007年1月に行方不明となり、話題となる。


【特徴】
もともとは個別にそれなりに芸能活動をしていたが(後述)、注目を浴びるようになったのは雑誌『25ans』のスーパー読者として登場した事から。2人は設定上は異父姉妹だが、実際は姉妹でも異父姉妹でもない。まれに誤解されるが、叶姉妹は芸能ユニットであり、メディアでの行動や発言は、あくまで商業上の設定に基づく職務として行っているものである。ユニット結成当初は「三人姉妹」であった。恭子と美香の間に次女 ・晴栄(はるゑ)がおり「叶三姉妹」として取りあげられていた。結婚を理由に脱退したが2000年に離婚。現在は2人のマネージャーをしている(晴栄は恭子の実の妹)。近年は“姉妹”である事を強調するが、テレビに出始めの頃は恭子が「姉妹でも異父姉妹でもありません、それっていけない事ですか?」と笑いを取っていた。

テレビ番組などに出演を始めた当初は「親が大変なお金持ちであるため、自分達もお金持ち。」という設定を使っていた。これはアメリカで注目されているヒルトン姉妹の日本版ということで叶姉妹を売りたかったためと思われるが、この設定を本気にした多数の人間が二人の実家におしかけ、寄付を求めたりセールスをしたりと大変な騒ぎになったため、この設定は封印された。実際の二人の両親は、普通の生活水準である。恭子は2007年8月号「婦人公論」のインタビューで「私たちはある事情で家族、親類と過ごした時間が少ない。」と明かしている。

ゴージャスな衣服を身にまとい、豪遊しているが芸能活動以外の収入源が謎だということを宣伝することにより、「個人スポンサーが付いているのではないか」「海外セレブ相手の高級娼婦ではないか」という設定が、バブル崩壊後のデフレや質素倹約が叫ばれる世情の中で非常に目立ち、よく受け入れられた。「お金持ちの芸能人」という分かりやすいキャラクターを提示したことが、成功の秘訣だったと言われる。またそれに尾ひれがつき「セレブを1回相手するだけで200万円前後貰っている」「石油王がパトロンだ」など詳細な事が囁かれ始め、イメージダウンするどころか、今までに無い不思議さに一気にブレークした。余談であるが、本人達に「収入源は?」と聞く事は芸能界におけるタブー(野暮な事)となっている(と言うよりは執拗に問おうとする芸能人がいない)。アメリカでは、日本で芸能活動をする前にコールガールであり、ドナルド・トランプとも関係を持ったと言われている。 

男性のみならずライフスタイル自体を崇拝する女性からも支持される。ただその人気の一方で極端なゴージャス指向に批判的な意見を持つ人も少なくはない。また完璧すぎるスタイルは「豊胸サイボーグ」と言われる。2002年7月に青山で開催されたファッションブランド「プレイボーイ」のパーティーに参加。その際フローラン・ダバディーが「どんな姿勢になっても、動かない胸を持つ、叶姉妹。大和にもロボット(ここでは「人工的に作られた美しさを持つ女性」の意味)がいた。」と評している。常々、整形疑惑は絶えず、ネット上で過去と現在の写真を比較するサイトまである。

極端なゴージャス指向を批判されながらも、彼女達のトークは日常生活のことをネタにしていたり、特に美香は姉とのエピソードを自虐的に語っており、近年、人を毒舌でネタにするタレントが多い為に、評価されている面もある。

職業については疑問点が多いが、「トータルビューティーアドバイザー」「トータルライフアドバイザー」と自称する。本人達によると、普段、皆が行っている事を叶姉妹らしくするというもので、ユニット名である「叶姉妹」は自分達の職業の名前でもあるという。衣服や宝石などは、その企業が広告主となって宣伝のために提供している。これを叶姉妹が「自分で選んだ」という設定で宣伝している。彼女らが自称する職業を分かりやすく言い換えれば、巧妙な宣伝・広告のためのファッションモデルである。

「殿方の」を「メンズ」と呼ぶ。その中でも特別に容姿端麗な男性の事を「グッド・ルッキング・ガイ」と呼んでいる。日本人が和製英語を使う中で、こういった英語表現も、雰囲気作りに一役かっており、記号化された叶姉妹らしさといえ、魅力のひとつと言える。

キッズステーションで放送される小児向け教育番組『モンすたージオ』にCGキャラクター「スーパービューティー」として出演。「ココ」(恭子)と「ミカリン」(美香)

以前は関西ローカルのスパワールドのCMに出演していたこともあるが、現在は、DHCのCMキャラクターとしても活動中。同社の会誌などにも美香が時折掲載される。

テレビ番組に出演する事も多く、映画の試写会にはなぜかよく招待されていることが多い。テレビに出演するとき、夏でも冬でも常に露出度の高いノースリーブで出演している。


【エピソード】
※ただし、以下のエピソードは本人談の芸能設定を多分に含む。

■「デヴィ夫人と不仲」と言われるが、意外に共演回数も多く、社交界の友人の1人だとか。 

■「ロンドンハーツ」(テレビ朝日系)で一回の食事で32万を費やし、好きなものが結果的には高価な物だと発言。「山ほど頼んで、山ほど残す」事も多々あるようで、批判の要因だと言える。

■様々なプレゼントをされ「超有名某宝石ブランドのVIPルームで宝石を選び放題」「クリスマスツリーに(クレジット)カードがぶら下げてある」等。数々の高級品をプレゼントされている為、並の物では驚かないらしいが、今まで一番嬉しかったプレゼントは島の権利書、株券等。 

■独特の美意識が強く、すっぽんの生き血にまだ鼓動する心臓を沈めて飲み、また肉も毎日食べる。シャンパン風呂、サムゲタン(韓国料理で丸鶏や若鶏を用いた薬膳スープの様なもの)風呂に裸で入る事である。2人曰く体全体でコラーゲンを吸収出来るらしいが、専門的な見解は一切無い。

■『芸能人格付けチェック』で色々な一流品と一般品を見極めるコーナーで唯一、叶姉妹だけが12問連続正解し「一流芸能人」の座を守った。


《叶恭子》
■いつも連れている男性達にはA、B、Cランクとあるらしく派閥も存在する。スーパーモデル等、総勢100人近くおり「必需品」と語る。大人数な為、名前がよく被り、被り易い名前は「スチュアート」と「リチャード」。被ってしまうと1号、2号と付け区別する。電話がかかってきて、美香が「リチャード1号から電話ですよ」と取り次ぐと、1号にも関らず、3号と勘違いして会話している事もよくある。デートする人も曜日で分かれている。ホテルの大部屋で大勢の男性達を裸にさせ「人間チェス」を楽しんだり、カラオケに行き自身も全裸となり歌ったり、男性に跨り「お馬さんごっこ」をしている(その後複数で夜もこなすそう)。これを「ダウンタウンDX」(日本テレビ系)で話し、勿論共演者全員驚いていたが平然と「チェスの人間版ってだけの事ですもの」と言い放った。恭子にのめり込み過ぎてノイローゼになり母国に帰ったスーパーモデルもいたそう(美香が「踊る!さんま御殿」(日本テレビ系)に出演した際に暴露)。因みに同時に愛することの出来る男性の人数について「時間的にも肉体的にも6人までなら、男を同時に平等に愛すことができます」と「ダウンタウンDX」(日本テレビ系)で発言した。(無論、設定であると思われる。)

■自分が不利になると「美香さんがそう言えって」「ねぇ、美香さん」と言う。 

■気に入った男性を見つけると美香を使ってナンパさせ、捕まえるまで追わせる。 

■美香が将来結婚したらその旦那を姉妹共有の性玩具として夜を楽しみたいという願望がある。

■自信に溢れた雰囲気とは裏腹に、意外に照れ屋である。 

■自宅の中では全裸で生活していると語る。

■変わり者の多い芸能人でも、理解困難な数々の驚くべき発言から「空飛ぶグータン」(フジテレビ系)に出演した際「30秒に1回面白い事を言う女」と紹介された。 

■「結婚はお金の為にする」と豪語しており「踊る!さんま御殿」(日本テレビ系)で明石家さんまに「どんな人と結婚したい?」と聞かれると「小さな国でも構わないので、王様ですかね」と答えた。もし結婚した場合も美香と一緒に暮らし、美香が先に結婚した場合も付いて行くのだとか。 

■「毛皮コートは汚れたら新しいのを買えばいいじゃないですか?」と発言した。

■お腹を露出した衣装でイベントに参加したところ、翌日の新聞に「恭子のお腹が弛んでいる」と掲載され話題となった。この報道があってから、恭子は暫く自身のイベントでお腹を露出した衣装は着なくなった。だが美容関連の書籍を出版しているだけあって直ぐに体形を戻し、再びお腹を露出した衣装を着始めた。

■深夜に美香がスケジュール管理をしている時に毎晩の様にデートに行くらしく、「爆笑問題の検索ちゃん」(テレビ朝日系)で太田光に「美香さんは大変そうですけど?」と聞かれると「やるべき事をやっているだけ」と答えた。スケジュール管理は妹に任せているが、デートの誘いを勝手に断られるのは嫌らしい(実際のスケジュール管理は、妹でありマネージャーでもある晴栄がやっているので、「妹に任せている」というのは嘘ではない。)。

■本屋に行くと、昆虫図鑑を中心に10〜15万円は購入する。本屋に限らず買い物の荷物持ちは男性達である。因みに買い物はいつも衝動買いであり「最終的には買うのが遅いか早いかだけ」と語っている。 

■美野里ふるさと食品公社の「ごぜんやまゆずヨーグルト」が好物の一つで、一日5個は食べるらしい。


《叶美香》
■着用している物の殆どが、姉のお下がりだというが、無論、設定であると思われる。芸能人としての地位やおそらく収入も、叶美香の方が恭子より上と推測されるため。

■好奇心旺盛らしく「爆笑問題の検索ちゃん」に出演した際、恭子に「とにかく事細かに聞いて店員を困らせる事がある」と暴露された。 
■ゴルフが得意。芸能人ゴルフコンペに単独で出場している姿がマスコミでもよく取り上げられる。

■連夜姉の世話に追われ、なかなか彼氏が出来ない。また、男性を恭子によく奪われてしまうらしく、今まで奪われた人数は50人である。「付き合っている人やいいなと思う人は、なぜだか皆、姉に奪われるんです。いいなぁと思う人は、次回食事する時はだいたい姉とピッタリくっついているんです。そして1度奪われたメンズは決して帰ってこないんです。」と発言している。この発言に対して恭子は、「奪っているんではなく、勝手に来るんですよ〜」と発言した。ちなみに好みのタイプは「誠実な人」。


【次女・晴栄失踪に関すること】
2007年2月9日放送回の「おはよう朝日です」(ABCテレビ)で芸能レポーターの井上公造が、晴栄は恭子の3億円以上する10カラットのダイヤの指輪、ダイヤが散りばめられた時計や他のジュエリーを付けたまま姿がわからなくなり、恭子が警察署で捜索のために相談していると語った。その後、「女性セブン」誌の報道を機に晴栄の失踪は広く知られることとなった。各種報道機関によって「叶姉妹が宝石や衣装保管の為に借りた家賃60万円のマンションに住んでいた」「そのマンションに保管してあった宝石・高級家具など5億円相当を持って逃げた」「現在消息不明」「警察に被害届けが出された」ことが報道され、世間の注目を集めている。

  叶恭子の代理人の弁護士による2月22日の緊急会見で、1月26日に叶姉妹に晴栄と連絡が取れないとのことで相談を受けマンションに行ってみると鍵が付け替えられていて、同28日に心配して晴栄の部屋に行ったところ、もぬけの殻というよりも綺麗に掃除されていたとのことだった。使い古しの家具などは、残っており選別した形跡があったことから、「計画的なことが伝わってきた」として、2月6日に被害届のコピーを提出。その後、警察から連絡があり、正式な文書として被害の目録を付け14日に受理された。

晴栄は2月17日に弁護士とともに警察に出頭し事情聴取を受けた。

書籍「Love&Sex」の発売時期とほぼ重なる形で今回の騒動が話題となった為に、書籍の宣伝ではないかと疑惑を持たれたが恭子、美香共に「その様な事はありません。書籍の内容と今回の件がリンクしているとは思えません。」ときっぱり否定し、涙ながらに訴えた。

取材をした井上公造曰く、恭子は実妹である晴栄が失踪したことで相当気を病んでおり、電話口でも疲れている様子が分ったという。恭子らは持ち逃げされた宝石などの行方よりも晴栄の事が心配であると語り、今回の騒動でストレスからか4kg痩せたという。

2007年2月27日に恭子の弁護士が会見を行なったが、晴栄は「自分のもの以外は持ち出していない」「3億円相当といわれている10カラットのダイヤモンドだけども、あんなのは1000万円程度の価値しかない」などと語っているという。一方の恭子は晴栄に対して刑事告訴(業務上横領)と、民事告訴(所有権に基づく引き渡し請求)することを決めている。

2007年3月17日のカワズ君の検索生活の第2検索ワードランキングで7位と9位がこの事件に関する事で「※大人の事情」に伏せられた。

この一連の騒動で、晴栄の存在と叶姉妹が元は三姉妹であった事も広く知られる様になった。

恭子は2007年8月号「婦人公論」のインタビューで『ただ、謝ってくれさえすればいいんです。手遅れなんて事は死ぬまでありませんから。』と述べている。

(出典:Wikipedia)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?b=20080218-00000001-maiall-ent

なだぎ武 エピソード&プロフィール

史上初の快挙に号泣!なだぎ武がR−1ぐらんぷり連覇達成!
 史上初の連覇だ! 一人話芸日本一を決める「R−1ぐらんぷり2008」の決勝が17日、大阪市のなんでもアリーナで行われ、お笑いユニット「ザ・プラン9」のなだぎ武(37)が昨年 に続き、史上初の連覇を達成した。賞金500万円と“ピン芸人日本一”の称号を再び手に入れ、「ウソのような本当の話、起こるんですね」と号泣だ。

 大粒の涙がほおを伝った。過去最多の2731人の頂点に立ったのはなんと昨年の王者でもある、なだぎ武だ。

 8人で争われた決勝で上位2位に残ったのは、なだぎと芋洗坂係長(40)。そして、優勝者の発表で「1位」に自分の名前があるのを確認すると、なだぎはガッツポーズ。あとは顔を押さえ体を震わせながら、感激の涙を流した。

 「いろいろな…プレッシャーもあったんですけど…。いや、もう本当…」。喜びのコメントは嗚咽で言葉にならない。

 昨年は交際中のお笑いタレント、友近(34)とのコンビでみせる「ディラン」のキャラクターで爆笑をさらったなだぎだが、今年は文化祭の出し物を決める学生のコントを披露。THE虎舞竜の「ロード」を歌うと、手にしていたファミコンのコントローラーが故障し、「トラブリュー発生」などとギャグを繰り広げ、“なだぎワールド”に誘った。

 V2への道のりは想像以上の重圧があった。それでも「自分で面白いと思えるネタができつつあった。(ディランの)イメージでないものをやって、どうなるか挑戦だった」。司会の雨上がり決死隊の宮迫博之(37)、蛍原徹(40)にも相談。2人の前で「結果を見せられた」ことが涙のワケだった。

 「ウソのような本当の話、起こるんですね」と自身の快挙に驚きながらも、「去年より意味のある優勝。何か弾けた感じ」と充実感でいっぱいだ。昨年と合わせて賞金1000万円をゲット。名実ともにピン芸の頂点にいる今、そろそろ次なるゴール、友近との結婚が気になるところだ。(Yahoo/サンケイスポーツ)


なだぎ武 エピソード&プロフィール
なだぎ 武(- たけし、本名:灘儀 武(読みは同じ)、1970年10月9日 - )は、日本のコメディアン、お笑いタレント、漫談家である。2007年,2008年R-1ぐらんぷりの勝者。現在では単独での仕事が大半だが、実際にはピン芸人ではなく、お笑いグループ「ザ・プラン9」のメンバーの一人であり、元々はお笑いユニット「スミス夫人」のメンバーであった。大阪府堺市出身。血液型A型。身長170cm。桃山学院大学文学部卒業。R-1ぐらんぷりで史上初の2連覇を成し遂げた。

【来歴・人物】
■芸人を目指すきっかけ
芸人を目指すきっかけは、学生時代に自分のネタで唯一笑ってくれた女性。その女性から視力が落ちてしまう病気であることを告白され、手術を怖がるその女性を勇気づけるためという。以前その子に言われた「灘儀が芸人になったら、私みたいに冷めてる人を笑かすんやろな」という言葉を受け「絶対に芸人になるから、手術して治った目で俺を見て欲しい」と約束した。

■NSC入学とコンビ結成&解散、なだぎの芸風
1989年の4月、当時18歳だったなだぎは、大阪NSCの8期生として加入し、同年8月に同期の松村博司とスミス夫人を結成。コンビ当時は「自分の顔をプリントしたTシャツを着て現れる」などといった変人キャラを演じる松村に対してなだぎが容赦なくツッコミを入れるが、松村はそれ無視するかのように延々とボケ続けるというスタイルのコントが多かった。シュールで奇天烈なキャラの松村とマシンガンのようなツッコミを繰り出すなだぎのコントラストが受け、一部のファンから絶賛されていたが、2001年に解散。翌2002年にザ・プラン9にヤナギブソンと共に追加メンバーとして加入した。1989年のデビューなのでナインティナインの一年先輩にあたるが、下積み期間が長く遅咲きである。ザ・プラン9の結成が2001年であることから、一年後輩のナインティナインや同期の千原兄弟、雨上がり決死隊などが中堅芸人として扱われる一方、なだぎは若手芸人の扱いを受けることが多い。また、お笑い第五世代の芸人に分類されているため、第五世代の芸人の中で最も芸歴が長い。恋人の友近とは、芸歴に11年の差があるが、友近の方が下積み期間が短く早咲きである。最近ではザ・プラン9以外に、後述のディランというキャラクターを持ちネタとした活動も増えている。また、演技力にも高いものがあるため、プラン9本公演では主役や物語を大きく動かす役が多い。

2007年の1月にR-1ぐらんぷりに出場。ディラン・ネタで見事、優勝を獲得。ちょうどグランプリをTVで見た黒柳徹子は、彼のディラン・マッケイの物まねに魅了され、自身の番組「徹子の部屋」になだぎを実生活で恋人の友近と共に招いた。黒柳は、32年間番組をやってて、自分の招きたいゲストを番組スタッフに伝え、出演させた事を今まで1度か2度しかした事がない、念願が叶ったと公言。そして、なだぎの芸を絶賛した。

ザ・プラン9の中で最年長かつ最も芸歴が長い。

【エピソード】
■コンビ命名
・大変な映画マニアであり、それが芸風や芸名にも反映している。以前のコンビ名「スミス夫人」はヒッチコックの数少ないコメディ作品『スミス夫妻(Mr. and Mrs. Smith)』(1941年、日本未公開)からつけられたもの。なお、ザ・プラン9は後藤ひろひとがつけたもので、メンバーは命名に関わっていないと思われる。

■R-1ぐらんぷり出場
・ザ・ブラン9のメンバーである浅越ゴエとは1997年12月のオールザッツ漫才の一回戦で、お互いが当時組んでいたコンビの「スミス夫人」(なだぎ)と「デモしかし」(浅越)として対戦したことがある。
・2007年のR-1ぐらんぷりでは、友近と戦った。結果発表でチュートリアルの徳井義実と同点の456点になった。その為、審査員による決選投票が行われ、なだぎに4票、徳井に1票という結果が出てなだぎがR-1王者となった。2008年のR-1ぐらんぷりも制覇した。

■改名
・ザ・プラン9加入当初はナギナギオという芸名で活動していたが、ヤナギブソンと名前を間違えられる事が多くなり、2005年6月に芸名をなだぎ武に改名している。ナギナギオからなだぎ武に改名する際、当初はギブソンが改名する予定だったがギブソンが断ったため、仕方なくなだぎが改名した。
・中之島演劇祭2006で共演した島木譲二に、なぎさ武や柳田武、なぎなた武など、散々名前を間違えられた。

■容姿
・年齢とは相応しない肉体と運動神経を誇る。今でこそ体格が良いが、前コンビ時代は痩せていた。
・BON JOVIのファンで、PVを撮ったことがある。
・2005年には関西テレビの金曜深夜の番宣枠にて「カンテーレ〜真夜中のエンターテイナーなだぎ武〜」なる約10分のミニ番組を担当していた。好評につき翌年にも「帰ってきた真夜中のエンターテイナーなだぎ武」として復活している。番組宣伝の合間に1人で様々なネタを披露するというものである。それまでは水谷豊の物まねをよくしていた。
・2007年9月29日放送の「オールスター感謝祭07秋」では武田鉄矢からアントニオ小猪木と間違われた事がある。
・2007年6月、大阪府泉南郡岬町にある「みさき公園」の「ぷ〜るらんどRiO」イメージキャラクターに起用される。

■私生活
・2006年12月19日に友近との熱愛が週刊誌に報じられた。交際は両人とも認め合っていて、よくバラエティー番組で共演する。更に、後述のディランの相棒「キャサリン」に友近が扮したコント芸まで開発し、2007年2月10日に「ディラン&キャサリン〜難問続出!?恋の数式大パニック〜」というイベントを開催した。
・イメージカラーはオレンジ。
・平山昌雄、南海キャンディーズ、レイザーラモンなど多くの芸人に慕われている。
・PLANETはSaturn(土星)
・軽い潔癖症らしく、ポテトチップを食べる時、服や口の周りが汚れないようにチップを二本の指でつまみ、顔を上に向けてそっと口に落とし込むらしい。
・嫌煙家である。
・全国的に有名になった現在も実家に住んでいる事やR-1で獲得した賞金にまだ手をつけていない事を新春番組(2008年)『今年も生だよ芸人集合 笑いっぱなし伝説』 (吉本芸人総出演の深夜番組)で司会の今田耕司と東野幸治にばらされた。本人は、売れない時期が長かった為「今まで地下生活が長かったもので」とコメント。


【ディラン】
ディラン(ディラン・マッケイ)は、なだぎが演じるキャラクター。元ネタはビバリーヒルズ高校白書シリーズの同名の登場人物。2005年のオールザッツ漫才でテレビ初登場。

必ず自転車に乗って登場し、自転車から降りて舞台のセンターに立つまでの流れがお約束となっている。まず不必要に脚をピンと伸ばしてオーバーアクションで自転車を降りる。その際いかにもアテレコじみた(後述)口調で「今自転車を降りているぞ…間違いなく今自転車から降りている…よぉし降りた」と言う。その後自転車を舞台の脇に留めるが、ここでも「…今自転車置きに行ってるぞ…」と一連の台詞が入る。そして舞台中央に戻ってネタをはじめる。また自己紹介の際に「ビバリーヒルズ青春白書でお馴染みのディラン…(間)…マッケイだ」または「ビバリーヒルズからやってきたディラン…(間)…マッケイだ」と、必要以上のタメ(短くても3秒以上だが、最近は数十秒かけるのがザラになっている)を作るのも定番である。番組ゲストでディランとして呼ばれた際、椅子に座る前に自転車を降りる際と同様の足上げを行い、その勢いで着席に失敗するというネタをすることがある。

当初は自転車には乗らず、「ブレンダ」「ケリー」「ピーチピットのナットさん」など元ネタに纏わる小ネタでマニアックな笑いを誘っていた。その後自転車は欠かせない小道具の1つとなり、アメリカンジョーク等の決め言葉を言った後は自転車のベルを鳴らすなどという行動もお約束になっている。そのため自転車特集を組んだ雑誌『ターザン』にディランのキャラでいつも使っている自転車と共に登場したこともある。

腕時計を必要以上に目に近づけて「もうこんな時間だぁ!」というネタがあるが、これは「スミス夫人」の時に使っていたネタである。

人の話を聞くアクションの際、「…にゃ、…にゃあ、…」("and yeah" または "'n yeah" を誇張したもの)と相槌をうつ。また、異常に体を後ろにそらす事がある(ネタ中で「これは日本の漫画「ジョジョの奇妙な冒険」の空条承太郎の真似だ」と話している。ちなみに、ディランの吹替えもアニメの承太郎も同じ小杉十郎太が演じている)。

ヘアスタイルは変化しており、当初はパーマがかった黒髪のリーゼント、2代目は茶髪のリーゼントであった。現在(3代目)は金髪のリーゼントである。

ディランのキャラは、もともと「ビバリーヒルズ青春白書」の日本語吹き替え版でディランの声を担当している小杉十郎太の真似がなだぎの持ちネタであったことと、当時の彼女が「ビバリーヒルズ青春白書」を見ていた事から発想された。さらには、ホフディランのシングル「キミのカオ」において、「ビバリーヒルズ青春白書」をパロディにした小杉のナレーションにも感銘を受けたと語っている。当初は楽屋で「ビバリーヒルズ青春白書」を知る芸人仲間等へ観せていたという。海外ドラマ特有の「大げさなセリフ回し」や「アメリカンジョーク」、「アテレコによる独特の空気感」をデフォルメした芸風だが、ビバヒルファンの今田耕司も認める激似ぶりである(最近では今田も言い回しを真似する事がある)。前述の2005年「オールザッツ漫才」において、レイザーラモンHGに続くキャラを探せという企画で披露された際、元ネタを知らない層にも好評を得る。これがこのネタのブレイクの最初の切っ掛けとなった。なおこのネタは本人曰く、「元々このオールザッツ漫才のためだけにつくってきたものだった。」

2006年からは本家「ビバリーヒルズ青春白書」には登場していない新キャラとして相棒のキャサリンが登場している。

なだぎは「R-1ぐらんぷり」でもディランネタで参加。2006年は準決勝で敗退したが、2007年は徳井義実(チュートリアル)と共に最高得点を記録し、審査員5人による決選投票で勝利し優勝を果たし、ザ・プラン9からは浅越ゴエに続き2人目のチャンピオンを輩出した。

2007年、ドラマで本物のディランを演じたルーク・ペリーや、日本語吹替えを担当した小杉十郎太との共演がそれぞれ実現している。

2007年10月からは、アニメ『ケロロ軍曹』のオープニング曲に、"ディラン&キャサリン"が歌う「フンダリー ケッタリー」が使用されている(CDも発売中)。また、"ディラン&キャサリン"では「ビバリーヒルズ晴天白書」なるコントDVDも発売している。

2007年11月、ホフディランのシングル「カミさま カミさま ホトケさま」のジャケットにディランを演じるなだぎが起用されたが、ビバリーヒルズ高校白書の権利関係者からこのジャケットが同番組のパロディに当たるとのクレームが入り協議を行ったところ、発売直前になり同シングルの発売は延期され、ジャケットが差し替えられることとなった。

オールスター感謝祭のマラソンを走り終わり、島崎和歌子に「大丈夫ですか?」と聞かれたところ、「悪ぃが自転車を用意してくれないか」と言った。

(出典:Wikipedia)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?b=20080218-00000001-sanspo-ent

たむけん語録、エピソード他

たむけん暴露!不機嫌沢尻in大阪
 沢尻エリカは大阪でもバリバリの不機嫌モードだった-。ふんどし姿の獅子舞ネタでおなじみのお笑い芸人・たむらけんじ(34)が初司会を務める新番組「GA-tuuun!(ガツン!)」(テレビ大阪、日曜前11・30)がスタートした7日、会見でこんな仰天エピソードを暴露した。
 9月に映画のキャンペーンで来阪した沢尻。たむけんによると、“準キー局”大阪のテレビ局のインタビューを受けた後「だから田舎のアナウンサーは嫌いなの!!」と吐き捨てていたという。そのヤリ玉に挙がったのが「ABCの喜多(ゆかり)アナ」らしく「震え上がってましたからね〜」と女子アナの“恐怖体験”を暴露。さらに「友近も怒ってましたよ」と“爆弾”を連続投下。「謝っても、(女王様キャラを)貫いてもアカン。刑務所行きや!!」とまで言い切っていたことまで暴露した。
 実は関西ではもう1人の女子アナKも、インタビュー中に沢尻が不機嫌になり、プイッと1時間いなくなってしまい、Kが泣きだしてしまった“事件”もあった。
 新番組では有名人に自ら出演交渉するコーナーがあり、たむけんは「エリカ様。会いに行くなら、今ですよ」と恐る恐る対面を希望していた。(Yahoo/デイリースポーツ)


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?b=20071007-00000023-dal-ent

【たむらけんじ】について
たむらけんじ(本名:田村 憲司、1973年5月4日 - )は大阪府阪南市出身のお笑い芸人。吉本興業大阪本社所属。吉本総合芸能学院(NSC)大阪校11期生。大阪府立和泉高等学校卒業。愛称「たむけん」。A型。

【略歴】
■同期にはココリコ、陣内智則、ケンドーコバヤシ、中川家、ハリガネロック、烏川耕一などがいる。

■既婚。1998年生まれの長男と2002年生まれの長女がいる。

■高校時代の同級生(大北貴洋)とLaLaLa(ラララ)というコンビを組んでいたが、1999年8月に解散。以降はピン芸人として活動している。劇場アンケートネタなどが代表作。

■以前は心斎橋筋2丁目劇場やbaseよしもとの中心人物で、同期や後輩を集めたライブをプロデュースするような立場であったが、2001年頃よりヘタレキャラに転身。

■2001年9月にbaseよしもとを卒業後、東京に進出。主にルミネtheよしもとの舞台でピン芸をやったり、新喜劇に参加していた。また、『いきなり!黄金伝説。』(テレビ朝日系列)の人気企画「1ヶ月1万円節約生活」や、同番組の「夫婦で節約生活」に妻とともに挑戦した。2003年大阪に本拠を戻し、以降はうめだ花月を拠点に活動中。

■2002〜2004年放送の「オールザッツ漫才」での、獅子舞を片手にふんどし姿で他の芸人を罵倒するネタで注目を浴びる。特に同期の中でも売れっ子である陣内智則を標的とし、「陣内死ね!」を連発(見ていた陣内は大爆笑)。2005年放送の「オールザッツ漫才」ではキョンシーの格好をしてネタを披露した(内容は過去の年とほぼ同じ)。ある意味究極の「スベリ芸」である。また、2006年のオールザッツ漫才では陣内と藤原紀香との結婚について毎度ながら激しくツッコんでいた。

■また「めちゃ×2イケてるッ!」の笑わず嫌い王決定戦に出演。「東京で売れてる芸人、全員死ね!」というオールザッツとほとんど変わらないネタを披露した(ただしこの回の大阪吉本芸人のネタは、たむらと同じくほぼ前年のオールザッツのコピーであった)。同番組内では紹介時、堂本剛に『かわいそうさん』と言われた。「笑わず嫌い王決定戦」に出場した若手芸人はその後ブレイクすることが多いが、たむらは出演後半年以上経ってもなぜか全くブレイクの兆しがなかった。

■その後、同番組の「めちゃイケファンド」(めちゃイケ参照)で「投資対象芸人」となり、雛形あきこにネタをコピーされた挙句、本人よりも笑いを取った。

■「笑いの金メダル」のワンミニッツショーなどで徐々に東京での露出も増え、全国区の階段を昇りつつある。ただ、地元関西の番組では特にキャラクターを作らず素顔で出演するのに対し、東京の番組では「獅子舞」「ふんどし」「サングラス」の色物キャラが定着してしまったため、この扮装で出演することが圧倒的に多い。関西と関東でキャラクターを巧みに使い分けている。そのため「関西では手ぇ抜いてんねやろ」と陣内に言われる(なるトモ!より)。本人曰く、関ヶ原を境に関東モードに切り替わるという。

■ギャグは「○○ちゃ〜。」が一般的。

■最近ではヘタレキャラに加え、嫌われキャラも。また、白いふんどしにサングラスがいわば彼の芸人としての「正装」であり、リアクション芸人顔負けのスタンスでテレビ番組への露出も多くなってきている。

■視力が悪い。コンタクトレンズを装用した上にサングラスをかけている。まれにめがねをかけてTV番組に出演することもある。

■2007年年明けにテレビ東京系で放送された「2007年最も売れる吉本NO.1伝説」にて、占い芸人小笠原まさやによる占いで「2007年最も売れる芸人1位」に選ばれた。(ちなみに最下位は山下しげのり)

■2006年末に発売されたPS2ソフト「桃太郎電鉄16 北海道大移動の巻!」では、たむけんのパロディ「たむらぎんじ」(スリの銀次の変装パターン)が登場した。

■大阪の城東区(蒲生四丁目)に焼肉の店『炭火焼肉たむら』をオープン(元々は妻の親が焼き肉屋をやっており、田村名義に変更)。なお、開業資金の一部を妻の親に援助してもらった。

■自宅は大阪市東成区深江南。愛車はメルセデスベンツ(7年ローンのML350)の白。

■2006年末に放送されたガキの使いの罰ゲームでは変質者として出演した。建物の屋上に上がり、しゃくれ署の警官達から「早く降りて来い!」と促されるものの、たむらは「お前らが俺のことおもんない言うからこんなことしとるんやないか〜!分かった、じゃあこうしよう。俺がおもんなかったら降りたる」。とネタをいくつか披露した。

■ジャイケルマクソンの「芸人だらけの水泳大会」において、楽屋での休憩中、たむらは一輪車の練習中に、食事中だったブラックマヨネーズ小杉竜一に激突してしまい、「ごめん、ごめん」と謝った。小杉はたむらに「たむらさん、みんな何て言ってるか知ったはりますか?高島屋の前にいる若者と、い、一緒やって言ってますよ。」と突っ込んだものの肝心な箇所をかんでしまい、たむらは「かむなよ、大事なとこ」と逆に突っ込んだ。

■2007年2月17日の陣内智則と藤原紀香の結婚式に、吉本の芸人仲間として出席(他にはなるみ、海原やすよ・ともこ、ケンドーコバヤシ、シャンプーハット小出水)。結婚式会場でのカメラ撮影は禁じられていたにも関わらず、陣内の親戚達がカメラで写真を撮り始めたので、たむらも写真を撮った。

■藤原紀香の弟に電話番号を一方的に渡したらしい。また結婚式終了後に藤原紀香がたむらのネタ「ちゃ〜。」を演じてくれるハプニング?があった。

■陣内家から「うちに野菜を採りにこーへんか?」と招待され、楽しみにしている子供たちを連れて出かけていくと、案内されたのは果樹園ではなく何と裏庭の家庭菜園だった(NGKでの末成由美還暦記念イベント中での発言)。


【人物】
■「陣内死ね!」というたむらお得意のネタについて、ケンドーコバヤシに「お前も俺のこと見捨てた。東京行く前は一緒に陣内いじっとったのに、帰ってきたらやっとらんし」と言ったところ、コバヤシに「あれは俺がやってウケてるの見て、あんたが乗ってきたんですやん。だから俺やらなくなったんですよ」とバラされた。

■プライベートではたむけんファミリー・通称TKFの主宰者。TKFのTシャツを貰った人は自動的にファミリー加入となり、加入した芸人らはTKFのイベントに強制参加となっている。

■間寛平・$10・サバンナと共にユニットコントライブ『宇宙ターザン』を不定期に開催している。DVDも発売された。

■『M-1グランプリ2005』予選のために結成された山崎邦正とカンニング・竹山隆範の「竹山崎」に、2006年度は新たにたむらが加入、「たむらけんじと竹山崎」として参戦した。結果は予選三回戦敗退。

■身体能力はそれなりにあり、中学・高校とソフトテニス部に在籍。中学時代には大阪のインドア大会で1位になった。またTKFでスポーツ大会を頻繁に開催している。

■笑福亭鶴瓶と初対面した時、いきなり本人が大便するところを見せられた。

■ケンドーコバヤシ曰く、雨上がり決死隊・宮迫博之、宮川大輔に並ぶドSキャラである。若い時、後輩芸人を道頓堀に投げ落としたことがあるらしい。しかし、後輩に対してしているSな行動は、「俺等のパクリや!」と宮迫に言われる(芸人が集まる居酒屋 たこしげより)。

■ヨシモトファンダンゴTVのM-1優勝特番で、優勝者のチュートリアルの福田の声を聞いたとたんに、感極まって泣いてしまう気の優しい一面も垣間見せた。

■クイズ!ヘキサゴンIIの予選ペーパーテストでは、初登場で3位と意外と好成績を残している。しかし、他のゲストから「納得がいかない」「バカのイメージが強いくせに」と批判されてしまった。その後の2007年2月21日の放送分では35点で1位を記録したため、その時もカンニングしたのではないかと評判は散々なものであった。

■妻との仲は一時期相当ギクシャクしていたらしいが、現在は修復しているとのこと。

■バッファロー吾郎主催のダイナマイト関西2003で、スペシャルマッチに登場。次長課長の河本準一としょっきり形式で大喜利を行なう。スベりに行ったときと、本気で笑いを取りにいったときの客の反応が両方とも同じだった。

■プライベートでは破天荒なところは一切なく、礼儀正しくコツコツとした性格である。家での姿はスウェットに眼鏡で、テンションはかなり低い。

■炭火焼肉たむらのオーナーとして、平均年齢20歳の店長・店員をまとめている。店の清潔に常に気を配っており、店の掃除が行き届いていないことを楽屋から店長に電話で注意するほど。店員のたむらへの評価は「真面目」「厳しい」「テンションが低い」。店に来た客へサービスで「ちゃ〜」を披露することも。店で使う野菜は、後輩の土肥ポン太が経営する八百屋から仕入れている。2007年1月の売り上げはM-1グランプリの優勝賞金額1千万円を超えた。

■2007年3月に行なわれた末成由美還暦記念イベントの休憩中、炭火焼肉たむらの従業員を電話で説教した。

■長男に、「パパ〜、今日学校で『お前ん家のお父さんおもんない』って言われた〜。」と後輩もいる席で突然言われ、「そいつに『お父さんと大喜利で勝負させ!』って言うとけ!」と返したらしい。

■かなりの綺麗好きで、洋式トイレでは男でも必ず便座に座って小用を足すよう勧めている。立って小用を足すと、尿が飛び散って掃除しなければならないから。

【たむけん語録】
「東京で売れてる芸人全員死ね!」
「放り込め!放り込め!かーねーもとっ!」(←金本知憲)
「放り込め!放り込め!はーまーちゃん!」
「放り込め!放り込め!なかむらゆたかっ!」
「何やー!?家で飼うてるウーパールーパー死んだんか?」
「アホか東京!」
「東京で売れてる芸人の妹、売れてないバンドのドラマーと付き合え!」
「東京で売れてる芸人の肌荒れろ!ブツブツになれ!」
「東京で売れてる芸人の近所のコンビニ潰れろ!」
「東京で売れてる芸人の親の浮気ばれろ!些細なことでばれろ!」
「東京で売れてる芸人のおかんパーマ失敗しろ!」
「東京で売れてる芸人の飼うてる犬死ね! 知らんトリマーの腕の中で死ね!」
「東京で売れてる芸人のマネージャー風邪ひけ!そして長引け!」
「東京で売れてる芸人 この時期 鍋食うな!」(冬季限定ネタ)
「東京で売れてる芸人死ぬ前にこれだけは食うとくんやて決めとる大好物食えられへんで死ね!」
「東京で売れてる芸人 犬に噛まれろ!ホステスが寂しさを紛らわすために飼うてる犬に噛まれろ!」
「東京で売れてる芸人が乗ったタクシーの運転手 芸人にめっちゃ話し掛けろ!」
「東京で売れてる芸人 漆でかぶれろ!」
「東京で売れてる芸人 刀狩りされろ!」
「東京で売れてる芸人 今どきセガサターン貰え!」
「東京で売れてる芸人 逆剥けヒジまで行け!」
「陣内のことおもろいと思てるプロデューサー浮気ばれろ!」
「最後ネタしまーす」
「ダメ押しでネタしまーす」
「もう疲れたんでネタしまーす」
「よし売れた!!」
「あんなもんおかしいやろ」
「あんなもんいらん、いらん」
「あそこのひな壇、ボカーンなれ!」
「しいたけは洗うな」
などがある。

【ネタ】
・「同期の嫁は金持ちや〜」(同期であるココリコの遠藤章造の妻、千秋の事を言っている)
・「嫁の実家が金持ちや〜」
・「同期が紀香と結婚や〜」(同期である陣内智則のこと)
・「いきますかー!? イーチ、ニー、サーよいしょ、チャ〜」
・「ごめんチャ〜」
・「アドベンチャ〜」(アニメ「ドラゴンボール」の主題歌をフルコーラスで歌い、最後に言うパターンもある)
・「ピッチャ〜」
・「うわっ 俺って器小っチャ〜」
・「ビッグモッコリ」(稀)
・「誰が王JAPANや!!」(笑いの金メダルでスピードワゴンとコラボを組んだ際、井戸田潤の「世界一絡みづらいですね」という言葉に対し)
・「誰がボブ・デービッドソンや!!」(上記の行動でミスったとき)
・「誰がジーコJAPANや!!」(笑いの金メダルでスピードワゴンと組めなくて、井戸田潤からの言葉に対し)
・「イナバウチャ〜」
・「母チャ〜」
・「かぼチャ〜」
・「また俺のギャグ取られチャ〜」
・「緑チャ〜」
・デッカチャン口調になり「たむらけんじだよ」
・「今からここで、面白いネタしま〜す」
ネタが無くなったときはパソコンを取り出し「大抵の人にウケる事」などと検索するギャグもある。
なお、「チャ〜」という一発芸はたむらけんじの息子が考案したものである。実際にたむらけんじの息子が、テレビで「チャー」をしたことがある。
基本的に自虐的なネタが多いと言われている。

【出で立ち】
獅子舞・サングラス・ふんどし姿(なおかつ髪がカールしている)で登場し、上半身に旬な文字を書いている。東京のUHF放送局のTOKYO MXでやっている「水野キングダム」ではスーツ姿で、獅子舞・サングラス・ふんどし姿は一切していない。(サングラスも外している為、デッカちゃんに似ている。)

下記は上半身に書いている旬な文字集
「話芸の神」
「楽屋でおもろい!」
「愉快な人」
「ネッシーは いてる」
「ブリには大根」
「マムシに注意」
「海からの恵み」
「よそはよそ うちはうち」
「かな縛りは夢なのか」
「やっぱり家が一番」
「子どもは国の宝」
「夢は(サッカーボールのマーク)四年後に」
「ちかん あかん」
「ツンドラ気候」
「今日はざっくばらんに」
「風力発電が一番」
「美空の前に美空なし 美空の後に美空なし」
「海の幸VS山の幸」
「M-1獲るぞ」
「年賀状はお早めに」
「炭火焼肉 たむら」
「おもち何個入れる?」
「笑いのシンデレラボーイ」
「金魚は意外とデカくなる」
「おもち食べすぎた」
「軽い気持ちでチョモランマ」
「寝起きの口は誰でも臭い」
「自費で春季キャンプ」
「犬やったら六才」
「リズムアンドブルース」
「ボールはともだち」
「薬局界のスギ様」 (スギ薬局プレゼンツ、「元気∞!よしもと笑いスギLIVE」のみ)
「しいたけは洗うな」
「百円玉で買えるぬくもり」
「シンクロ王国ロシア」
「メガネのマーチ」
などと書いている。ちなみにこれ等はたむらが「お前字が上手いか?」と聞き、上手いと言った芸人に書かせている。(ミサイルマンのウラモン!より)

・登場時に出てくる獅子舞は自前だったが、2006年に吉本興業から50万円の獅子舞を買ってもらった。
・芸を見せるときの風貌については「髪型で笑いを取るな」と若手芸人たちに言われたことがある。笑いの金メダルでスタッフが家を訪れたときはカメラが回っているのを見て、10分ほど家にこもり髪をセットして褌姿で玄関に出てきた。

【その他の事柄】
■HGと同様、サングラスを掛けているため、『HGの様にサングラスを外す事を事務所から禁止されている』等と思っている人も多いが、実際にはその様な事は無く、サングラスは外しても良いという事になっている。そのため、東京の番組「笑金」等ではサングラスを掛けふんどし姿で出ているが、関西圏ローカル局の番組(なるとも!等)では、サングラスを取り素顔で出演している場合が非常に多い。関西でサングラスにふんどし姿のたむらを見ることは稀である。

■ネタでキツイ事をかなり言うため、子供にも容赦無いと思われがちだが、なるトモ!の企画で幼稚園に行った時、幼稚園児に優しく振舞っていた。(しかし、子供を使い、陣内の悪口をネタで言っていたが)。

■最近の若手芸人の中では珍しく、エンタ派生からの芸人(エンタ芸人)ではなく、笑金の活躍で一気にテレビへの露出がアップした芸人である。(その為最近の芸人としては珍しくエンタには一回も出た事が無い)。

■最初に笑金の「ワンミニッツショー」に出演した際、ちょうどその頃HGが旬の頃であったため、奇声で喋るネタやサングラス姿であることから、「HGのパクリ」等と批判されたが、実際には彼の方が芸歴は上であるため、ファンからは「それはおかしい」等と逆に批判されることもある。

■たいがー:りーやですよ。等が大手の芸能人に「体を張らない」、「何も面白くない」などとマスメディアやネット上で酷評されバッシングされる中、彼は笑いの面では批判されたことは少ないが、それでもやはりおかしな姿で番組に出演している為か女性ファンは少ないようである。

■移動には必ず獅子舞を持参するため空港では搭乗前の手荷物検査を受けると言う。

■「タムケン」と言う放送作家がいるが、全くの別人である。

(出典:Wikipedia)

日本相撲協会って何?

【<相撲協会>記者クラブ会友の杉山さんの取材証を”はく奪”】
日本相撲協会の北の湖理事長は10日、横綱・朝青龍に関する一連の騒動に関してテレビで解説をした、元NHKアナウンサーで東京相撲記者クラブ会友の杉山邦博さん(76)=日本福祉大学客員教授=の発言が協会批判にあたるとして、協会発行の取材証を返還させた。事実上のはく奪で、これに対し同クラブは11日、抗議文を提出した。
 北の湖理事長は、抗議文で「(杉山さんの)言動の何が問題なのか、明確にしてほしい」と要請されたのを受けて、同クラブの代表者に対して口頭で回答。(1)8月中旬の朝の民放情報番組で「朝青龍への処分に対しては弁護士や識者を入れて決めるべきだ」というコメンテーターの発言に杉山さんがうなずいたのは相撲協会批判にあたる(2)テレビ出演の際の肩書が「相撲評論家」「相撲ジャーナリスト」となっているが、こうした立場の人には(記者でないので)取材証を発行できない――と、返還させた理由を説明。杉山さんによれば10日、協会の女性職員に「理事長が発言を気にしているので返してほしい」と言われ、杉山さんは「お立場も分かるので預けましょう」と言って返したという。
 同クラブは「批判する相手の取材証を取り上げるのは暴挙」と反発しており、杉山さんの発言などについては事実関係も含めて、12日に杉山さんと北の湖理事長との話し合いを持つよう調整している。
 杉山さんは53年からNHKのアナウンサーとして大相撲報道にかかわり、その間、東京相撲記者クラブ員。定年後の87年から同クラブ会友としての取材を続けてきた。特に先代二子山親方(故・大関貴ノ花)と親交が深く、兄の初代若乃花と、三代目若乃花、貴乃花を絡めた「土俵の鬼 三代」などの著作がある。取材証を返還させられたことについて杉山さんは「肩書はテレビ局が便宜上つけたもの。それにテレビ画面でうなずいたことぐらいで取材証を取り上げるのは信じがたいくらい残念」と話している。
 また、報道陣から問題の経緯を聞いた日本相撲協会理事の友綱親方(元関脇・魁輝)が「杉山さんは正論を言っている。協会内部の対応が悪い」と話すなど、親方衆の間にも北の湖理事長の措置に首をかしげる声が上がっている。
 同協会の取材証は、相撲記者クラブ所属の専門記者に発行される顔写真付きのカードで、所持者は支度部屋での取材が許可されるなど、一般の報道関係者と区別されている。【上鵜瀬浄、飯山太郎】
 ◇相撲界の将来危惧 
 ▽スポーツライターの玉木正之さんの話 スポーツ報道は、主催者側の広報的存在に堕してしまう危険性が高い。だからこそ批判の目を持たなければならない。そういう批判を受けて門戸を閉ざしてしまう(相撲協会のような)組織は、必ず衰退していく。相撲界の将来を危惧(きぐ)せざるを得ない。ジャーナリズムは、協会の措置を断固認めてはならない。
 ◇耳傾ける姿勢を 
 ▽大石泰彦・青山学院大教授(メディア倫理)の話 協会は公的な存在であり、広く意見に耳を傾ける姿勢を示さなければならず、今回の措置は批判されるべきだろう。ただ、朝青龍問題を取り上げたメディア側も、スポーツを一種の娯楽・慰みものと考え過熱していたのではないか。相撲を含めたスポーツの文化性・公共性を高めるために、報道のあり方を反省・検証する必要もある。(Yahoo / 毎日新聞)


日本相撲協会って何?
財団法人日本相撲協会(にほんすもうきょうかい)は、大相撲の興行、相撲競技の指導・普及、相撲に関する伝統文化の保持などの目的によって、1925年に設立された財団法人。商業的かつ職業的な相撲興行に関して、全国規模で開催している唯一の団体である。管轄官庁は文部科学省(中央省庁再編前は文部省)である。

現在まで、「興行に拘りすぎて、財団法人としての責任義務を果たしていないのではないか」という意見も多数あるが、財団法人として大相撲の指導普及を図るため指導普及部を設置し、指導普及部一般会員の進級試験も行っている。また、日本相撲協会に対する批判について弾圧する傾向もある。


【沿革】
■1925年(大正14年)12月9日- 時事通信社が「東京大相撲協会が財団法人大日本相撲協会に組織替え」と報道

■1925年12月28日- 財団法人大日本相撲協会を創立
当時摂政皇太子であった昭和天皇の台覧のおり下賜された奨励金から「摂政宮賜杯」(現在の天皇賜杯)をつくったが、一営利団体が天皇家の菊花紋章の入った優勝杯を使用するわけにはいかず、財団法人認可を受けた。この認可も、どうやら難しそうだと見て、あえて年末に申請して強引に認可を受けたという裏話が残っている。

■1927年1月5日- 大阪相撲協会が解散し大日本相撲協会に合流し東西大相撲が合併

■1927年1月7日- 新しい番付を発表

■1927年1月8日- 役員改選し、会長には福田雅太郎が就任


【歴代理事長】
・初代 広瀬正徳
・2代 藤島秀光  第31代横綱 常ノ花寛市
・3代 時津風定次 第35代横綱 双葉山定次
・4代 武蔵川喜偉 前頭筆頭  出羽ノ花國市
・5代 春日野清隆 第44代横綱 栃錦清隆
・6代 二子山勝治 第45代横綱 若乃花幹士
・7代 出羽海智敬 第50代横綱 佐田の山晋松
・8代 時津風勝男 大関    豊山勝男
・9代 北の湖敏満 第55代横綱 北の湖敏満


【職階】
■設立当時の最高位は会長だったが、戦後廃止されたため現在は理事長である。ちなみに会長は帝国陸軍若しくは海軍の士官が勤めていた。

■理事、監事、委員、主任、参与、年寄(平年寄ともいう)の6職階に分かれる。現在、参与はいない。

■理事は定員10名で理事の互選で理事長が決まる。他の理事は各部の部長となる。

■監事は定員3名。理事会には出席できるものの、発言権はない。

■理事・監事は、西暦偶数年の1月場所後に行われる、評議員(年寄105名跡(一代年寄2名跡),行司2名,現役力士4名で構成)の投票による選挙で選出される。力士、行司の評議員はそれぞれ力士会、行司会の互選による。

■理事長経験者は相談役となり、理事と同等の待遇を受ける。また、理事経験者や副部長の職責を全うできる者は、役員待遇として監事と同等の待遇を受ける。

■年寄株を所有していない、いわゆる借株の年寄は、平年寄に留め置かれ、番付において年寄株を所有している他の平年寄よりも下に置かれる。

■力士は引退後に平年寄(元横綱は引退後5年間、元大関は引退後3年間、ともに委員待遇)として指導普及部へ配属され、警備などを担当する。その後の改選時に主任、さらには委員となる。なお、懲戒による降格処分がある。


【協会葬】
在職中、または現役中に相撲界の発展に多大に寄与した者に対し、日本相撲協会葬を行う。原則として、理事経験者か横綱の場合に限る。

(出典:Wikipedia)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?b=20070911-00000110-mai-spo

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カズが3年ぶり出場へ=Jリーグオールスター

Jリーグは23日、JOMOオールスターサッカー(8月4日、静岡・エコパスタジアム)に出場する32選手と監督、コーチを発表し、三浦知良(横浜C)がサポーター投票でJイーストの最高得票34万4577票を集め、3年ぶり歴代最多タイの9度目の出場を決めた。Jウエストの最高得票は藤本淳吾(清水)で、両選手が主将を務める。
 このほか、ウエストでは39歳の中山雅史(磐田)、イーストでは昨年MVP賞を獲得した中沢佑二(横浜M)らが選ばれた。
 ウエストは長谷川健太監督(清水)、イーストは関塚隆監督(川崎)が指揮を執る。長谷川監督は、選手としてのオールスター経験者では史上初めて、監督を務めることになった。(Yahoo/時事通信)


最長老カズ!キングカズ!がんばれ〜!
ゴール決めてくれ!カズダンス見たいよ〜!

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?b=20070723-00000108-jij-spo

プリンセス天功、イリュージョン失敗で全身打撲

イリュージョニストのプリンセス天功が、昨日22日(日)に福井県鯖江市で行われた『プリンセス天功スーパーイリュージョン(2007サマーツアー)』の昼の部上演中に機材トラブルで全身打撲を負っていたことが分かった。今朝、所属事務所が公式ブログ上で公表した。

 今回のトラブルは『決死のスパイク・イリュージョン』というエスケープイリュージョンの最中に発生。刃渡り10センチ、長さ80センチの金属製刃物、計20本に左右から強い力で挟まれ、あと1センチで右目に剣が突き刺さる状態だったという。

 トラブル発生後も約30分間イリュージョンを敢行するも、主催及びスタッフの判断により公演は途中で打ち切りとなり、天功は鯖江市内の総合病院に搬送。検査処置後、すぐの帰京と再度の検査を勧められ、昨日深夜主治医のもとに到着。現在、強度の全身打撲状態で、頭部、胸部、腹部に強い痛みがある状態だという。

 今後の振り替え公演の対応など、詳細はホームページ等で発表される。(Yahoo/オリコン)



詳細はわかりませんが、とりあえず無事なようででなによりです。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?b=20070723-00000005-oric-ent

胸のピークは3年前!?ほしのあきが保存版写真集を発売

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?b=20070520-00000000-sanspo-ent
 タレント、ほしのあき(30)が19日、東京・福家書店銀座店で写真集「超A級保存版ほしのあき 2002−2007」(マガジン・マガジン、980円)の発売記念イベントを行った=写真。

 同写真集にはデビュー以来撮りためた秘蔵写真が満載。ほしのは過去の自分と比較して「(胸は)平成16年ごろが一番デカかったですね。すごく大きくて下着を外したときに重みを感じていました」。また、「顔が細くなりました。年をとると顔の肉が落ちるんですね」と警戒していた。(引用:Yahoo/サンケイスポーツ)


最近、顔が細くなって目がでかくなったような印象だったんだけど、
自覚症状があったのね・・・

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<男子ゴルフ>15歳石川が史上最年少V マンシングウェア

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?b=20070520-00000027-mai-spo
 岡山県玉野市の東児が丘マリンヒルズゴルフクラブで20日まで行われた男子プロゴルフツアーのマンシングウェアオープンKSBカップにアマチュア参加した15歳の東京・杉並学院高校1年、石川遼(りょう)が、通算276の12アンダーで初優勝を果たした。77年の日本オープンでセベ・バレステロス(スペイン)が記録した20歳7カ月の国内男子ツアー最年少記録を大幅に更新する初の高校生優勝。女子の宮里藍が03年に優勝した際の18歳101日の記録も塗り替えた。海外男子ツアーの最年少優勝は、米国は19歳10カ月、欧州は18歳9カ月。
 石川はツアー初出場。2日目まで3アンダーの23位タイ。初日が強風で中止となったため、1日で36ホールを回った20日に9打スコアを伸ばし、プロ・アマ計144人が参加した大会の頂点に立った。
 アマチュアが優勝し、その後「プロ宣言」をした場合、その年の残り試合と翌年から2年間のツアーシード権を獲得するが、石川は「高校を卒業してプロになりたいと考えていた。周囲と話し合ってどうするか決めたい」と話している。【濱弘明】
 ◇宮本が1位の賞金獲得
 最終日に七つスコアを伸ばし通算11アンダーとした宮本勝昌が前日の16位タイから2位に躍進。優勝がアマチュアの高校1年生、石川遼だったため、宮本が1位の賞金を獲得する。3位に近藤智弘、9アンダーの4位には4人が並んだが、宮里聖志・優作の兄弟がともに入った。
 尾崎将司も94年以来の1日36ホールを回りきり、通算3アンダーの24位タイに入った。
 第2日の19日に同じ組でプレーした伊沢利光、片山晋呉、谷原秀人の3人が、豪雨中断後、再開の合図より前にプレーを始めたとして失格。片山は予選落ちし、他の2人は予選通過だったが、41人による最終ラウンドには進めなかった。男子ツアーで同組の3人がそろって失格になるのは昨年5月の日本プロ選手権以来。
 ◇「攻めのゴルフ」奏功…石川遼
 最終ラウンドの15番ホール、539ヤードのパー5。フェアウェー中央から約265ヤードの2打目を、3番ウッドで直接、ピン狙いに行った。2オンして約30メートルを残すも、パターを強く振って約2メートルオーバー。ピンの前後を行ったり来たりしながらパーとした。

 石川遼の「攻めのゴルフ」が端的に表現されたホールだった。171センチ、64キロの痩躯(そうく)ながら、300ヤード超の飛距離が持ち味。老かいな小技があるはずもない。高い弾道のボールが風を切り裂き、同組の飛ばし屋・立山光広をしばしばオーバードライブ。2打目を最後に打つことも少なくなかった。
 アプローチやパットの距離が合わない場面は何度もあったが、ショートすることはまずない。同組の久保谷健一は「すごいのは、やっぱり守らなかったこと」と評価する。
 17番、216ヤードと長めのパー3では、3番アイアンを左に引っかけ、グリーン奥のバンカーにつかまった。ここでも強気。第2打を打った瞬間、本人は「やべえ、でかい」と思ったらしいが、ギャラリーの「入れ」の合唱に後押しされるように、ボールはカップに吸い込まれた。バーディーでスコアは12アンダー。第1組でのスタートだったが、この時点で単独トップに立ち、後続のプロたちが追いつくことはなかった。
 立山は「半端じゃない。ゴルフ界に救世主現るかな」と驚嘆した。
(引用:Yahoo/毎日新聞)

宮里藍はアマチュア時に優勝して、プロ宣言したんじゃなかったかな?プロゴルファーは幼い頃からの英才教育でなれるものなんですね。プロになって活躍できるかどうかは別ですが・・・
人気低迷の男子プロゴルフの救世主になれるようがんばって欲しいです。ルックスもいいですし・・・

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